映画『ポンペイ』|子育てママの絵日記ブログ

映画『ポンペイ』


ポンペイがヴェスヴィオ火山の噴火で数日のうちにすべて地中に埋まってしまったのはわずか三日の間といいます。

日本はそのころ弥生時代でした。

ローマ帝国から国を守ろうと外交に画策しているポンペイの人たちの様子はその後の悲劇を知っているせいかどこか芝居じみて見えました。

奴隷の剣闘士たちによる戦いに興じる民衆たち。

命を懸けて戦う奴隷たちの悲壮。

そこで生まれるこの国の姫と剣闘士との儚くも激しい恋。

横暴なローマ人兵士。


消滅した都市ポンペイの歴史は知っていましたが、こんなふうなドラマ仕立でみせられるとなんともやりきれない気持ちになります。


主役の剣闘士キット・ハリントンがオーランド・ブルームみたいでかっこよかったです


ヒロインのエミリー・ブラウニングは彼女じゃなくてもよかったと思いました





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映画「赤ずきん」|子育てママの絵日記ブログ

映画「赤ずきん」


冬休みに入ってふっとつけたテレビで「赤ずきん」の映画がやっていました。

赤ずきんの童話をモチーフにしたもので、ところどころ赤ずきんちゃんのエピソードが入っていました。

深い森のそのまた先にある村はその設定だけでも不穏な感じ。

その村人のなかに人狼が溶け込んでいるというのです。

人狼はあなたの隣人かもしれない。

妻かもしれない。

親かもしれない。

そんな状況。人間不信になって当たり前ですよね。

いかにもあやしい人たちがあやしい動きをするけど、その人たちも人狼に殺されていきます。

ああ、白だったのねの連続。

だけどさいごはちょっといい話に。

狼。赤いずきん。おばあさん。狼のお腹に石。

主要キャストが皆美しくって、それはそれで理想的なんだけど、感情移入があまりできませんでした。

物語を引っ張る力って隙のない美しさよりも際立つ個性なのだということがよくわかりました 




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ジェーン・エア|子育てママの絵日記ブログ

ジェーン・エア

 
作者のシャーロット・ブロンテは『ブロンテ姉妹』という映画にもなっている19世紀イギリスの小説家です。

彼女の代表作がこの『ジェーン・エア』です。

孤児のジェーンはロチェスター伯爵の養女の家庭教師になります。

伯爵の屋敷は薄暗く、どこからか狂気の笑い声が聞こえてきます。

聞けば狂った老女グレース・プールの声だということです。

グレース・プールはジェーンの部屋に火を放ち、不気味な声を屋敷に響かせます。

しかしグレース・プールはロチェスターの狂った妻だったのです。

なぞめいた屋敷と狂人の気配にどんどん物語に引き込まれました。

ジェーンとロチェスターは愛し合うことになるのですが、その紆余曲折がドラマティックです。

今の時代ならそれほど高くない恋の障壁もあの時代は身分という越えられない壁があり、その壁を越えたくばまさに死に物狂い、命を賭して超えるものでした。

ほんとうにたくさんのものを失わなければ乗り越えられない。
そしてその先にある地平を私たちに見せて映画はエンドロールを流します。

シャーロット・ブロンテはジェーンとロチェスターを美男美女には描きませんでした。映画もまたそんなキャストでしたが、年齢を重ねたうえに障害を負ったロチェスターもジェーン・エアも潔くとても素敵でした。




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「日本のいちばん長い日」|子育てママの絵日記ブログ

「日本のいちばん長い日」


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終戦の日。

どの年の夏も日本の夏は追悼の中にあるように思われます。


昨日放映されたこの映画は戦争を終わらせまいとぎりぎりまであがいた若い将校たちの存在を教えてくれました。

国民の誰もが戦争の終わりを切望していたはずです。

お国のために息子を戦地に送り喜んだ母親などひとりもいなかったはずです。

それなのに戦うことだけを教育された若き軍人たちには降伏はとうてい受け入れられるものではなかったのです。

戦争を一刻もはやく終わらせたい政府と軍幹部たち。そして本土決戦にはやる青年将校たちの命を賭したかけひきが静かに描かれます。

その相反するふたつの流れをひとつにまとめることのできるのはただ一人、天皇陛下だけでした。

天皇陛下は戦争を終わらせるためならばなんでもすると、私の説得が必要ならどこにでも出向いて行くとおっしゃいました。

私の国民のもうひとりも死なせない。

残った国民とともに国を復興させ日本の文化を守ることが最優先だとおっしゃいました。

天皇も総理も、陸海空最高指揮官も一将校も、誰もが命をかけてそれぞれの役割、というか大義に向かいます。

皆思いは一つ。日本を守るという一念でした。

天皇をお守りすること、それはとりもなおさず国を守るということです。

そのために最後の一人になるまで戦うのだという将校を今なら馬鹿げた暴走と糾弾できるでしょう。

でも若い軍人たちは徹底的に教育されてきたのですから、そのわずか数日の間に受けてきた教育思想を木端微塵壊し復興に向けあらたな自分を組成し直すなどできるはずもありません。

そして敗戦を告げる玉音放送が流れ、彼らは古い思想とともに自害し果てます。

天皇の居られる皇居を仰ぎ見ながら。



今年の終戦記念日もうるさいくらいのセミの鳴き声と夏の暑さの中にあります。

今日という日は71年前のあの夏を生きた一人一人の礎のもとにあることを深く心に刻む日でなければならないと強く強く思います。


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映画『セッション』|子育てママの絵日記ブログ

映画『セッション』

 
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『セッション』が今年のアカデミー賞にノミネートされ3部門で受賞されました。

私も以前この映画を観て、衝撃を受けました。


音楽学校でドラムを学ぶニーマン青年に担当教官フレッチャーは常軌を逸した指導をします。

この教官、もう崩壊しているとしか思えない人格なのですが最後まで観ていて、フレッチャーが狂っていようが教師として不適合だろうが主人公ニーマンにはどうでもよかったのだと思い至りました。

それはフレッチャー自身が語るあのチャーリー・パーカーのエピソードからわかることです。

ジャズサックス奏者のチャーリー・パーカーは無名時代、ライブで大失敗をします。

そのときバンドメンバーのジョー・ジョーンズはチャーリーにシンバルを投げつけ怒りをあらわにします。

チャーリーは激しく落ち込みその後人々の前から姿を消します。

そして一年後、チャーリーは人々の前に姿を現し、圧巻の演奏をみせます。

ここにバードと呼ばれる伝説のスターが誕生したのです。

もしあの失敗ライブのときジョー・ションズがシンバルを投げつけずに「お前はよくやったよ」とチャーリーを慰めていたなら、チャーリーはバードにはなれなかった。

このエピソードからチャーリーにとってジョー・ジョーンズの人格も行為も問題ではなく「シンバルを投げつけられるほどの激しい否定」が必要だったということです。

ニーマン青年に対してフレッチャー先生が常識的な指導をしていたなら、映画の最後、ニーマンのあの神がかった演奏は生まれることはなかったでしょう。

チャーリー・パーカーがバードになったと同じように。


だから嫌な人と出会ったとき、その人自身にファーカスするのではなくてその人が自分の成長にどんな役割を果たし得るかを計るのも一考だと思います。

すると母親という立場も子供にとってある程度そうであるべきではないかと思いはじめました。

「もう寝なさい」
「宿題しなさい」
「お片付けしなさい」
「ゲームをやめなさい」

きりのない小言を言いつづけて子供に規範を植え付ける存在。

父親も子供にある程度の脅威を与えることで、この父を超えなければ向こう側の大人の世界には踏み込めないぞと思わせる存在。

父母という存在の前で子供は自己と向き合い、自己を確立し、鍛錬していくのだとしたらそれらは必要な媒体です。

親は子供を可哀そうだと思いつつも、子供に負荷(これを躾けというのでしょう)を与えていかなければなりません。

「フレッチャー先生理論」だと甘やかすばかりでは子供は何者にもなれないのですから。


そう思えば私の人生の中に現れていた苦手な人たち、煙たい人たちは私のある部分をよい方向に変容させてくれたと思います。

私にとって彼らの人格などまったく関係なく私に与えた影響だけが重要だったのですから。


『セッション』を観てそんなことをいたく感じました。





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宮崎あおい「初恋」|子育てママの絵日記ブログ

宮崎あおい「初恋」

 
カテゴリーに「映画のこと」を追加したので、つい先日観た宮崎あおい主演の「初恋」のことを書きたいとおもいます(#^.^#)

昭和最大のミステリー、三億円事件の真相が私わかってしまいました。

犯人は十八歳の女の子だったのです。

この事件はかずかずの推理が行われてきましたが、この映画を観て、なんだかすべての合点がいくような気がしました。

主人公の犯人、女子高校生みすずは原作者本人の中原みすずさんですもの。

「私はもしかして三億円事件の犯人かもしれない」という告白からはじまるのですもの。

`かも`というところがいやに真実味があったりします。

映画は学生運動全盛の鬱々とした暗く湿った時代を退廃的に描いていきます。

行き場のない若さを鬱屈させる愛すべき不良たちは孤独な少女みすずを不器用に守ろうとします。

そしてみすずは恋ともいえないような淡い恋をして。。。。

ただ一緒にいたかっただけの。

うまくできたらほめてくれるだろうっていうそんな他愛もない理由の。

そんな恋をしたからみすずは現金輸送車を乗っ取ったというのです。

事件後、彼を失ったかもしれないというのたうつ喪失と渇きはなんという名前を持った気持ちなのでしょう。

わけのわからない熱狂と袋小路に吹きだまった埃のような軽い若さはあの時代にだけあった特別の物でした。


しばらく心がずーんと沈んでしまうような物語でした。





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posted by 子育てママの絵日記 at 17:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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アンナ・カレーニナ|子育てママの絵日記ブログ

アンナ・カレーニナ


日曜夜9時。

J-COMで毎週映画を放映しています。

それがなかなかよいものがあるのです。

昨日の晩は「アンナ・カレーニナ」

この題材はグレタ・ガルボ、ビビアン・リー、最近ではソフィー・マルソーなど、様々なキャストによって制作されてきたのですが、今回は最新、パイレーツオブカリビアンのキーラ・ナイトレイ版でした。

俳優たちの美しさになかばぼーっとして観ていましたが、

それは映画の作り方の特異性のせいだったのかもしれません。

作品の背景は貴族社会だったロシアの社交界です。

当時サンクトペテルブルグに生きた貴族たちはまるで演劇の舞台を生きているようだったといいます。

監督はその言葉とおりに物語を舞台と客席とバックステージにおいて表現していました。

アンナは自分の気持ちに正直にたぎる恋に突き進むのですが、同時に

寛容な夫、愛する息子、社交界の信用、貴婦人としての地位をなくしていきます。

そうなることでアンナは若く美しい恋人の愛を疑っていくことになるのです。

しかしそれもこれも虚構の舞台で演じられていること。

失意のアンナは凍る汽車に飛び込み命を絶ちます。

それすらも決められた筋書のように。

リアリズムの巨匠、トルストイの原作での解釈はわかりませんが、

美しい俳優陣、豪華な衣装、きらびやかな貴族社会。

おしゃべりも食事も舞踏会もオペラ鑑賞も。

愛もいさかいも。

死すらも舞台の一場面。

激しさに生きたことで逆に虚構性を強調することになった「アンナ・カレーニナ」

しかしそういう時代が確かにあったのですね。

そんななか、対照的に描かれているのは農民たちと大地を耕して質素に生きる大領主夫妻の姿です。

おだやかな情愛に満ちた関わり合い。

人間らしさとはそういうありふれた市井の営みの中に息づいているものなのでしょう。

https://rokoshira.jp/images/present/anna/visual.jpg

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猿の惑星|子育てママの絵日記ブログ

猿の惑星

  
金曜ロードショーでやっていた「猿の惑星 創世記」を観ました。

ストーリーは息もつかせぬ展開で物語の世界に否応なく引き摺り込まれます。

エンターテイメントの要素の中にあって私が強く心を打たれたのは「アイデンティティー」の問題でした。

高い知能を持ってしまったチンパンジーのシーザーは心ある人間たちの手によって愛情をたっぷり受けて育ちます。

しかしその高い知能はやがて

「僕はどこからきたの?」

「僕はどんなふうにして生まれてきたの?」

「僕は誰なの?」

という問題と向き合わざるを得なくなります。

そして「自分とは何か」という葛藤が始まるのです。

シーザーは人間なら若い頃誰もが経験する一種の地獄めぐりをすることになります。

それを人は長い夜とか、嵐の夜とか、青春とか表現し、乗り越えてきましたが、チンパンジーのシーザーもそれを体験するのです。

そして戦いの末に自分のするべき役割を見つけ、自分の目指すべき場所を目指します。

そこにもたくさんの犠牲と哀しみ、心を抉られるような痛みが待ち受けています。

そしてラスト。

闘いを終え、シーザーが見渡した風景は、自我の目覚めの時に見た風景と同じもの。

でもその風景はこれまでの与えられ見ていた風景ではなく、シーザーが獲得した風景でした。


一方映画はアルツハイマー病によりアイデンティティーを手放さざるを得なくなった老人を写し出します。

シーザーの高次の知能と対比した形で描かれるエピソードですが、ここでは次なる問題、尊厳の問題が潜んでいます。

猿の惑星、単なる気楽な娯楽作品ではありませんでした。


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posted by 子育てママの絵日記 at 11:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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